報告。本日で永世中立人間をやめます。

僕の周りには常に人生を諦めたたくさんのお通夜ムードのドリームキラーの人たちであふれかえっている。僕は毎朝「人生を諦めた人たちの乗り物」に乗り、車内でひたすらブツブツと悪口のお経を唱える人たちに耐えてやっとのことで街に到着する。これがウォールストリート街の地下鉄ならどれだけ楽な人生だったことか。話す言葉の質で本当にその人の人生がわかる。

 

 

私は意識が高い人たちの側にいると落ち着く。それはなぜかというと、その人たちは常に前向きで人生の困難を自ら変えられることを確信している。過去に出会ったそういう人たちはその価値観やビジョンをいつも僕に語りかけてくれた。バイト先の大学生とかもその一人のうちだった。毎日高品質の無料の授業を受けに行くつもりでバイト先に足を運んでいた。

 

 

しかし転職などで一歩自分が行く場所を間違えればその状況は180度一点する。その場所とは人生を諦めた人たちの居場所のことだ。その人たちはそれが当たり前のように私に語りかけてくる。目を見開いて何のメリットにもならない話をあたかも当たり前の常識として私に淡々と語りかけてくる。

 

 

 

私にとってその人たちが「当たり前のように話してくること」がものすごく怖いことだった。当たり前の空気というのは本当に怖い。「現状は変わらないという当たり前」「人生とはつまらなく耐えることだという当たり前」みたいな、これらのお通夜ムードの空気はそのうち私を包み込み込み、飲み込んでいく。それらの空気に飲み込まれるぐらいなら一人でいる方がましだ。

 

 

 

昨日私は300円で買ったバケットをカバンにさし、高級ブランド店が並ぶ通りを歩き、何店舗かのブランド店の中に一人で入り、美術館を楽しむかのように接客を受け作品たちを楽しんだ。コンビニの店員とは違い、教育された店員の態度、考え抜かれた相手を不快にされない振る舞い、本当に気持ちの良い接客だった。

 

 

 

そして店を出たら通りに一人、高級スーツを身にまとった中年の若い男性がいた。キラキラとした瞳、笑っていないのだけど希望に満ち溢れたイキイキとした表情、私は人の表情を見たらわかる、その人が前向きな人生を歩んでいるかそうでないかということを、そのスーツの男性は明らかに前向きな言葉で毎日を過ごしている人だろう。

 

 

 

このエリアでは「前向きな言葉」が当たり前だけど、こっちの地域では「後ろ向きな言葉」が当たり前なのだ。じゃあ僕はというと永世中立人間なのでどちらでもなかった。がしかし今までは自分を持たずそれらの場所を行ったりきたりしていたが、もう自分が歩くべき道を決めた。自分が何をしたくて、どんな人物になりたかがハッキリとわかった。人生お通夜ムード人たちの場所へ行けばお通夜ムードな人生になり、意識が高い人達の輪の中に入ればポジティブな人生を歩む人間になる。

 

 

私はポジティブな人生の道を歩む。これは誰が何を言おうが私のアイデンティティなので、変えることはできない。そしてこの決断を期に永世中立人間もやめる。これからも生き延びる為に争いは避けるが、お通夜ムードの人たちとは激しくぶつかり合う。それは自分の人生に対するポジティブな信念を押し通す時だけぶつかり合うのだ。親愛なるエルネストもその人生を終えるまで、自分の人生のポジティブな信念を貫き通した。

 

 

 

私が三宮の街に降りる際にはバスという人生を諦めた人たちの乗り物に乗らなければいけないが、それもきっと神様が私に与えてくれた試練なのだろう。「君は耳栓をして、周りの人たちに流されずに質の良い本でも読んでいなさい」ってね。永世中立人間の期間は終わりました。私は影で密かに力を蓄えつつ、彼らにゲリラ戦を仕掛けます。大丈夫、私には共に戦ってくれる仲間がいる。

今自分が一番欲している栄養を補給せよ。

玉ねぎが食べたい時は玉ねぎを食べるし、ゴーヤの苦さが欲しい時はゴーヤを食べる。それと同じでこの本が読みたい時はこの本を読むし、あっちの本が読みたい時はあっちの本を読むように、人はその時に自分の体が今一番欲している栄養を補おうとする。

 

 

 

 

 

それは食べ物の栄養もそうだし、本の知識もそう、それらに限らず、ボキャブラリー溢れるドラマを見たい時は心の元気が足りない時。僕たちは学校で先生に「一度始めたらこれを最後まで絶対にやらなくちゃいけない」みたいな強制を強いられてきた。

 

 

 

 

その結果、大人になった今でも一冊の本を最後まで読まなくちゃいけない!みたいな無意味な責任感や、つまらない漫画もせっかく買ったから最後まで読まなくちゃいけない!みたいな、もったいない責任感などにより、最後までそれらの義務感をまっとうしようとした結果、目の前のことが楽しくなくなってしまって、結局一日の充実度が下がってしまう。

 

 

 

 

ではなくて「飽きたらやめればいい」と思う。結局つまらないと感じる理由は、自分が目の前のことを「今欲していない」から、そういう「飽き」という現象が起きてしまうんだ。

 

 

 

 

成功した人たちは口々に「自分が楽しいと思える好きなことをやりましょう」と言っている。

それなのにつまらないことを最後までやらなくちゃいけない風習が大人になった今でも根強く残っているため、その風習が今でも僕たち大人を苦しめている。

 

 

 

一度、本を開いてみて少し読んでみても、つまらないのなら、さっさと次の興味が湧いた本に手を出すべきだ。本に限らず映画もドラマも漫画もみんな同じ。自分が今欲しているものは一体なんなんだろうか?それは知識か?心の元気なのか?それとも悲しみなのだろうか?

 

 

 

自分が人生に対して何を望んで求めた結果目の前のものを手に取ったんだろうか?自分が取った目の前のものは自分にどんな栄養を与えてくれるのだろうか?それを行って自分はどんな栄養を補給できたのだろうか?

 

 

みなさんが今一番欲している心の栄養はどんな栄養ですか?

自分の心からの行動が相手への最高の言葉になる。

本当に大切なのは、どんなに気の利いた言葉よりも、相手に対する自分の真剣な態度と姿勢だったんだ。

つまり、僕はそこらへんにいる口だけのダメな男と何一つ変わらなかった。

 

自分のことを応援してくれる人たちにできる最高のお返しは「がんばります!」のような言葉ではなく、真剣に自分の人生の課題に取り組む心からの姿勢と態度だった。

 

 

その心からの真剣な態度、すなわち行動が、黙っていても相手に伝わることを知った。

 

僕がこのブログに書いている時点で矛盾してておかしいんだけど、自分は弱い人間だからこの思いが消えて無くなりそうで怖くて仕方なくて書いてしまった。

 

 

貴重な時間を削ってまで自分を応援してくれる人たちへの最高のお返しは、自分の精一杯の行動なんだ。少しずつ、ゆっくりでいいから、言葉より行動で答えるんだ、自分の心からの行動こそが、相手への最高の言葉になるんだ。行動が全てだ。

 

 

どうか、みなさんはこれからいくら人にバカにされて酷い陰口を言われたとしても、ありのままの素直な自分でいて下さい。僕みたいに人にバカにされたからといって虚偽の見栄を張って、自分を偽って無駄に時間を過ごしてしまうことだけは、どうかやめて下さい。挫折してもダサくてもいいので、そのままの自分でいて下さい。最後にひとつわかったのが、格好良くても、格好悪くても、どちらにしろ今を一生懸命生きている人のほうが、見栄を張っている人よりも、人間として魅力的なんだなと思いました。

ありのままの素直な自分で生き続ける大切さ。

今は31歳。そして23歳の頃の自分は素直だけが取り柄な人間だった。けれど歳を取るにつれ、人から馬鹿にされたり、からかわれたりしたせいで、自分に素直でいることができなくなった。大した人間でもないのに、無理な見栄をはる習慣ができてしまって、そんな習慣ができてから本当の自分を見失い、今の自分の現状が見えなくなり、いつしか現実と向き合えなくなっていた。

 

 

当時、嘘をつけない性格の自分は、人に見栄を張り、馬鹿にされるのが怖くて嘘を付き続けていくたびに自分を見失い、体から子供の頃から体内に存在していた素直できれいな心が消えていくのが、人に嘘を付く度に感じ取れたのを今でもハッキリ覚えている。そういった心の叫びを無視し見栄を張り続けた結果、気づいたら自分が自分じゃなくなっていた。見栄やプライドや、人の視線を気にした行動など、それらは全てその場では人から馬鹿にされずに済むけれど、じわじわと自分の体をむしばんでいく。

 

 

 

自分がいつも惹かれる人間は、素直にキラキラと輝きながら生きている人たちだ、しかし自分の生き方はそんな素敵な人たちをも遠ざけてしまうことに気づいた。いつも自分が好きになる人間は、格好悪いありのままの自分をさらけ出している人。スポンジ・ボブなんて自分をさらけ出している典型的な人だ。これからは人に馬鹿にされてもいいから、できるかぎりありのままの自分で生きていきたい、格好悪くても心が軽かった昔の自分を取り戻したい。絶対に取り戻す。

常によい想像をすることの大切さ。

みなさんこんばんは!今日は想像力の大切さについてお話します。

 

人間の行動の大半は想像力にかかっていると言っても過言ではありません。

 

ではなぜ想像力がそれほどまでに私たちにとって大切なものなのかを説明していきたいと思います。

 

 

昔、私は大失恋をした経験からか良い想像を頭の中でできなくなりました。失恋をしてからは自分の目の前にどれだけ素敵な女性が現れても、自分の頭の中でその人との素敵な未来を想像できなくなってしまい、結果、ネガティブな悪い想像ばかりを考えてしまい、結局どの恋も実ることはありませんでした。

 

 

 

私以外にも辛い失恋を経験された方の中で、どうも恋愛に対して消極的になってしまう方もおられると思います。しかしそれは豊かな想像力を取り戻す訓練をすることにより解決するのがほとんどだと思います。

 

 

 

例えばいつも推理小説ばかり読んでいる人は、思い切って恋愛小説を読んでみたりしてみると良いでしょう。

 

いつもサスペンス映画ばかり見ている人は、想像力を鍛えるために恋愛映画を積極的に見て感動する。とかです。

 

 

人間の脳というものは、テレビはもちろんのこと、映画や本などにも影響を受けやすいです。

自分にとって良い影響のある映画や本などであれば、積極的に見て、良い影響をどんどん受けていくほうが将来の自分のためにもなると思います。

 

 

どこか最近の自分は、自分が満足できる理想のスタイルじゃないなと思ったら、自分が人生において満足ができるような想像力が付く映画や本などを積極的に読むようにしてみてはいかがでしょうか?

 

 

豊かな想像力さえ身につけば、夢や目標を立てるときにも役に立ちますし、きっと私達の生活を充実させる起爆剤になると思います。

 

 

ぜひみなさんも秋深まる素敵な夜に、自分の想像力を掻き立ててくれる素敵な作品に出会ってみてください。

 

 

ちなみに僕はメリーに首ったけと、Mr.ディーズ(関西弁日本語吹き替えver)という恋愛映画が好きです。ドラマなら「とんび」という作品が心があたたまるので好きです。

 

ではまた、失礼します。ノシ

今の心情と冷静と情熱のあいだ。

自分が今の気持ちを書いてそれを見たことにより落胆して離れていく人は離れていけばいい、それはその人の課題だ。

 

 

これを人が成長する過程の一時的な現象だと割り切れる人だけ自分の周りに残ればいい、だから僕は正直に今の気持ちをこのブログに書く。ではさっそく本題に。

 

 

 

 

自分の子供の話に耳をかたむけ、尊重し、子供の存在を認めているあたたかそうな親を持っている人たちのTwitterInstagramの投稿になぜか自然と惹かれる自分がいる。

 

 

 

その理由がなぜだか今の自分には分からないけど無性に自然と惹かれる。きっと自分には持っていない遺伝子的な魅力を僕の体がその家庭やその人たちに求めているのだろう。

 

 

 

人々は僕によく「自分らしく生きろ」「もっと自分を持て」「人の意見に流されないで」とか言ってくるけど、最初はその教えを守れてもいつも目に見えぬ何かに怯え続けている自分が存在する。きっと僕には自分というものが存在しないのかもしれない。

 

 

 

 

子供の成功や、子供の長所を誇らしげにSNSで語る親を見ていると心があたたまり、満たされる自分がいる。ハッキリとわからないけど満たされるというかきっとそれを見て自分は安心しているのかも知れない。

 

 

 

 

いつも僕は心のより所が無い。フワフワと浮いていて常に何かにおびやかされているような感じがして心が支配されそうになりおびえている。

 

 

 

きっと世の中の人はそういった寂しさでセックス依存症になったり薬に溺れたりして寂しさを紛らわしたりするのだろう。しかし僕は絶対にそうはなりたくない。プライドが高いのかも知れない。常にどこかに出口を見つけようと必死にもがいている。格好悪い。

 

 

 

正直に言うと早く楽になりたい。

今すぐに楽になりたい。

 

 

 

 

先日お風呂で半身浴をしていた時にお風呂の中で気付いたら寝てた。体中のすべての張り詰めていた緊張感が営業を停止してオフになり、子供の頃に遊び疲れて気づいたらテレビを付けっぱなしにしたまま寝ていた頃のあの感覚に似ていた。

 

 

 

しかし今は365日ずっと気が張りつめている。半身浴中に寝れたのはケリー・マクゴニガルの仰向け脱力法のおかげかも知れない。ケリーのあの足の裏にクッションを入れて足を少し高くしながら行うリラクゼーションの方法のおかげて体がリラックスする感覚を覚えたのかも知れない。

 

 

 

 

自分が今まで普通だと思っていたことは普通じゃなかったんだな。僕と接した人たちは表情やしぐさなどの僕の非言語コミュニケーションをうまく読みとって眉をハの字にした苦い表情をしてくる。まるで銀紙で数回擦ったスプーンをそのまま口の中に放り込んだときような 違和感を覚えた苦い表情をしてくる。

 

 

 

 

自分は普通じゃなかったんだ。そんなことに今さら気づいた。自分は普通じゃない。

犬の散歩中に出会う不思議な男の子👦(いい意味で)。

今日は僕が夕方の犬の散歩時に ほぼ毎回出会う小学三年生ぐらいの男の子の話です。ドラマ「エジソンの母」に出てくるあの不思議な男の子にそっくりです。

 

夕方 愛犬を連れて僕が公園を散歩していると 今日はその男の子と台風の話題になりました。 僕が男の子と話している時に うしろにはその男の子の知り合いだと思われる保護者が2人座っていました。

 

その男の子は大人でも知らない台風の知識を僕に楽しそうに目を輝かせて笑顔で教えてくれました。

 

僕がその男の子と会話をしていると うしろに座っている2人の保護者(女性)が「いらんことだけは知ってるな~」みたいな嫌みチックなトーンの小声を男の子に向かって言ったのが聞こえてきたのですが、むしろ僕はこの男の子が勉強ができようができまいが将来有望だなと思いました。

 

以前から僕がその男の子の話を聞いていると、最近のスマホ漬けになった小学生とは違い、発する言葉の内容がいい意味で特殊です。以前から「この男の子は将来化けるかもな…」と密かにワクワクしながら期待をしています(なんか上から目線みたいですいません)。

 

 

親は子供の成績ばかりに目をとられがちですが、こういった男の子の世界観にもっと注目し 目を向けるべきです。そしてこの貴重な才能を支えていくべきです。

 

 

僕は「この男の子が将来自分が人と違うことで辛い思いをしないか?」それだけが心配です。どうかお兄ちゃんに10年後も 再びワクワクするような話を 笑顔で話してきて欲しい。

 

 

※PS.この男の子はいつも 3DSはもちろんのこと スマホすら持っていません。親がゲーム機やスマートフォンを子供に与えるのをやめると 子供は成功への道に近づきやすいのではないか?と思いました。この男の子がゆういつこの町で″忘れていた大切な懐かしい何か″を感じさせてくれる貴重な存在です。私たちは日々 スマホなどの娯楽に″自分の可能性″を 奪われている気がします。

 

大人になってしまった僕はこれからも この男の子から教わることが沢山ありそうです。